フジサンケイアドワークについて思うこと
 
                           名木田恵子
 
 
私が<フジサンケイアドワーク>の名前を初めて聞いたのは、1996年の秋頃、電話でいがらしさん本人からでした。
1997年5月のプリクラ事件が発覚する半年ほど前のことです。
なんでも<漫画家30周年記年のパーティの協力>を、いままでの講談社とかわってフジサンケイアドワークがしてくれる、とのことで「よかったね」(講談社と契約解除していたため今後の協力は無理だと聞いていたので)と返事しつつ(出版社でもないのになんでかしら)と疑問を抱いた事を覚えています。
 
その頃、意識的にいがらしさんに電話をしていたのには、理由があります。
1995年、いがらしさんの意向を汲み<講談社との二次使用の契約を解除(結果的に講談社と連携していた東映アニメとの契約も解除)>したいきさつについては一審の陳述書で述べた通りです。
しかし、その後日本アニメの件も沙汰無しになり(一審陳述書)当初から講談社と契約解除する事も、中央公論社でマンガ文庫を出す時も大反対していた夫は(文庫は講談社で出版すべき、との意見。私もそう考えましたがいがらしさんの他の漫画もセットで出版されることから彼女の意向を汲んだのです)その後もこの件を注視してくれていました。
1995年11月いがらしさんとの二次使用契約のときも夫は同行してくれ「その契約書に一考あり」と述べたにも関わらず話しが逸らされ、私が捺印してしまったことをあとから不服としていました。その契約書をつくったのはマンガジャパンの顧問弁護士で、契約日のときの雰囲気に(正当でないもの)を夫は感じたといいます。(事後、その顧問弁護士に「あの契約書はだれがつくったか」と夫は問いあわせましたが、「わからない」などと、不可思議な回答でした。)
どうしても不明瞭な点がぬぐいきれず<二次使用>の管理は<双方に公平な立場>のひとに、というわたしたちの意見にその時いがらしさんは同意してくれました。
しかし、これで<管理>は宙に浮いたことになり、心配する夫から「はやくいがらしさんと膝を交え、これからどうしたらいいのか、二人で話し合って向こうの意見も聞かなくては」とアドバイスされていたのです。
わたしも同感で、いがらしさんとわたしのキャンディの二次利用に対する姿勢を知っていたこともあり、また、宙にういたままの止まっている<東映アニメのビデオの再放送、海外放映>についても東映から話し合いたいと何度か書面がきていてその点についてもいがらしさんと話しあう必要を強く感じていました。
 
そういった理由で私の方から再三、いがらしさんに電話で面会を求めていたのです。
しかし、その都度「今は忙しいから、一ヶ月後ね」と日延べされ、わたしも差し迫った<二次使用>の申し入れを受けている訳でもなく(しかし、今にして思うとこの間にアドワークとプリクラ、香港での出版などの話が進んでいた事が判明しています)のんびりといがらしさんの時間が空く頃をみはからって電話をしつづけていました。
しかし、<フジサンケイアドワーク>の名前と同じくして、いがらしさんが雇った山本昌子さんというマネジャーが<香港>に会社をつくったという噂までも聞き、その点についても電話で聞いたときの、いがらしさんの堅い対応、また首をひねるような事柄が相次ぎ、次第に不安が募ってきたのです。
 
二度目に<フジサンケイアドワーク>の名前を聞いたのは、プリクラを作った(株)バンプレストの吉田明氏からでした。プリクラ事件が発覚したとき、私は天地がひっくり返るほどのショックでしたが、主人は(やっぱり不安が的中した。これはプリクラだけではおさまらないよ)と判断し、相手のペースに乗せられるとまた、講談社との契約解除、中公文庫、二次使用契約のように不明瞭なままでうやむやにごまかされる。今度はこっちの意志をはっきりさせよう)と 夫がバンプレストに赴き、なぜ原作者ぬきでこのようなことが起きたか聞くことにしました。
吉田氏によると、
「いつだったかフジサンケイアドワークの朝井匡人専務といがらしさん、マネージャーの山本昌子さんが尋ねて来て、朝井専務が<キャンディの権利はうちでもらった>といった。商談に入ったが、うちの会社は著作権でビジネスをしている、著作権に関しては神経を使っている。
水木さんが原作者であり著作権者であることは20年前アニメ化の時グッズを作ったので重々承知していた。それで何回もいがらしさんに「水木さんは承知しているんでしょうね」と尋ねた。すると3人はキャンディコーポレーションという会社を香港につくった。それに<水木さんも関係している>といって、どさっと机にキャンディコーポレイション関係だという書面を置いたのです。」
吉田さんはそれを確かめるまでもなく信じた、といっていました。
「それで、キャンディコーポレイションとプリクラの仮契約をしたのです。なにしろいがらしさん本人が水木さんは承知の上というんですから。水木さんに確認取るのも失礼な話しだと思って」とのいい訳でしたが、お気持ちがわからないでもありませんでした。
そのプリクラはテストケースで3台しか作っていない、とのいい分でしたが、テレビや雑誌にも紹介されていて、ちゃんと料金をとっていました。その上、マルシーまで(CANDY)と変えていました。
なにより私たちの疑念が深まったのは<キャンディの権利はうちでもらった>といったフジサンケイアドワークの朝井専務の言葉です。それがほんとうなら、<キャンディの権利>は私が知らないうちにアドワークに委託されていた事になります。
 
三度目にフジサンケイアドワークの名前を(今度は見たのは)いがらしさんの一審の山崎弁護士からの<内容証明>でした。それは、これもまた相次いで発覚した香港の<玉皇朝出版との書籍の無断出版契約事件(これもプリクラと同じく、水木がキャンディコーポの一員のようなことをいって香港出版社とキャンディコーポが契約。事件発覚後、香港側は非を認めキャンディコーポレイションとの契約は解除、個々の再契約となる)、それが一応解決していがらし側と話し合えるとほっとしていた6月24日の翌日の送達で、5日位内に以下のことを<承諾しろ、しないと二人の二次使用の契約は解除するぞ>という脅迫めいた文面でした。
それには
 1 フジサンケイアドワークの複製原画など
 2 扶桑社からの<キャンディの復刻版漫画>
 3 ポニーキャニオンのCRROM
     (フジサンケイグループ)
 4 香港、玉皇朝出版製のポストカード及びテレフォンカード
 5 バンプレストのプリクラ
などの事項が説明もないまま羅列してあり<なんの営業努力もしないで20%もらえるんだからいいだろう>というような乱暴な言葉が書いてありました。<20%>というのはこの事件からいがらしさん側が勝手に言い張っている配分で、(とにかく絵の利用はいがらしさん80%水木20%と言い張っています。そう言える<闇の部分>があることを夫はマンガジャパンの顧問弁護士が作った契約書に感じていたのです)講談社が管理している時もそんな配分で仕事をしたことはなく、びっくりしてしまいました。そんな強引で一方的な主張に水木側の伊東弁護士が5日以内に答えずにいたら、すぐに、いがらし側の弁護士から<契約解除通知>が届きました。
その数日後、バンプレストの吉田氏のもとにも朝井専務みずから電話をかけてきて、
「水木との契約は解除した。すぐ、プリクラを動かしてくれ」と言われたそうです。
バンプレスト側は「水木さんの許可がなければ承服できない」と伝えたといいます。
 
私もそのころまでは、まだそのような朝井匡人専務の行動でさえ<被害者>の位置においていました。しかし一方的な契約解除に驚き、<いったい、いがらしさんたちはなにをしようとしているのか、きちんと話してくれたなら水木は話し合いに応じる>と伊東弁護士が朝井専務に電話をしても朝井専務は拒否、水木との面談を断りました。
私が無念な気持ちで思い返すのは<ここで>朝井専務がきちんと私に会い企画についてはなしてくれたなら、ここまでの事件にならなかったのに、という思いです。
なぜ、朝井専務はあのように頑なに私との面談を断ったのか……
 
今なら推測できます。たぶん、ビジネスのメインであった<複製原画>が<プリント物>であったからでしょうか。
原価が非常に安価と専門家により判定されたその<プリント>を<高級版画>として4万円から15万円で販売することを朝井氏との面談で相談されても、私にとって<詐欺>のように思えるそんな売方はとても承諾できなかったと思います
 
朝井専務は数回に及ぶ伊東弁護士との電話での会話で「こんな様子なら、販売はできませんなあ」と明言しておきながら、1997年8月、サンケイ新聞の朝刊一面を使い<複製原画>の通販(サンケイリビング経由)を開始したのです。
約束と違うとまた伊東弁護士が抗議しましたが,朝井専務は「関係ない、いがらしさんと山崎弁護士がいいというんだからそっちにいってくださいよ」と逃げの姿勢に終始しました。
その後もあまりの誠意のなさに、1997年9月、私はフジサンケイアドワークも提訴しました。
提訴後の1998年の2月、伊勢丹府中店でその<複製原画>を<高級版画>として販売したことから、「あれは版画ではない」と美術関係者から注意されサンケイ新聞事業部に抗議にいくまでその<複製原画>の通販広告を新聞紙上において何回も行っています。(またサンケイ新聞事業部ではそのプリントを<シルクスクリーン>といっていました。)
抗議後、新聞での通販広告はおさまりましたが、あちこちの画廊などに配り販売をしていたようです。私が知っているなかで大々的に関わった業者は以下です。
1 アトリエ美(はがきなどによる通販。また、横浜グランドホテル、軽井沢プリン ス
        ホテルなどで販売)
2 プリンス画廊 ( そごう関係、京王プラザホテルなどのイベントに協力) 
       
その後、おおっぴらには目にふれることがなくなったフジサンケイアドワークの<複製原画>ですが、最後にみたのは証人尋問が行われた1998年11月16日の3日後の19日から<恵比寿アトレ>においての展示会でした。今もこっそりどこかで販売している可能性は高いと思っています。
このわたしが呼ぶところの<偽版画>ですが、当然購入したひとたちからの哀しみの声が聞こえて来ています。キャンディファンの気持ちを巧みに利用した悪質な販売。いがらしさんのサインが入っているし、ひと目で<版画>ではない、<安価なプリント>だとわかってもファン心理としては、抗議できない…そこにつけこんだのだとしたら、原作者の私は悲しい限りです。また、この事件を知らず、原作者の私もそんなビジネスに関わっていると思われたらたまりません。今<プリント物>と気がつかなくても、いつの日か必ず
(こんなものが<現代版画>なんて…これをあんな値段で買ったのか)とだまされたよう な思いを抱く時がくるのでは…そのときの読者の気持ちを考えると、切なくなります。
フジサンケイアドワークが<キャンディの権利>をもっていると、宣言して行ったビジネスで判明しているのは、プリクラのほかに、
 
@ 1998年 4月 (株)サンメールの文具。これはフジサンケイアドワークから
            なぜかアースプロジェクトに話しが移行し契約。
 
A 1998年  6月 (株)カバヤのあめ3種契約。
B 1998年  7月 (株)コロンブスの靴クリームの宣伝
C 1998年  7月  広島筆の里のイベント
D 1998年  8月  椿山荘のイベント 
D 1998年  10月 荒川郵便局イベント、ふみカード販売
E 1998年 10月 (株)ビッグベンパズル契約 
F 1998年  11月  恵比寿アトレのイベント
などです。
 
伊東弁護士が「話し合いたい」と申し入れてから3年。フジサンケイアドワークと朝井専務は十分この件を理解しつつ著作権を無視してビジネスを行った<確信犯の頂点>と認識しています。
その上、朝井専務は椿山荘のイベントにおいても<水木>を誹謗する暴言を吐き、また、フジサンケイアドワークへ何も知らない読者が「今回のイベントには水木先生も参加されるんですか?」と尋ねただけなのにアドワークの社員は気色ばみ「水木の手先か?!」と怒鳴られ、深く傷ついたファンからの訴えも届いています。また<プリンス画廊>でも同じ事があったようで私の知らない所でこういった行為が繰り返されていたとしたらいたたまれません。
 
フジサンケイグループともあろう組織がなぜこのようなことをやりつづけたのか…・
提出された<報告書>はなんのいい訳にもならないと思っています。
 
また、著作権侵害で訴えてから、なにゆえ<アースプロジェクト>がアドワークに代わって<(株)サンメール>の代理人になったのか。そして、1999年10月にいたるまでフジテレビの<アニメ特集>のプロデユーサーがはっきりと「キャンディの権利はフジサンケイアドワークが持っていると聞いていた」と証言しているのに、突然、<キャンディグッズ>の版元が<ダンエンタープライズ>に移行したのか…
そういった数々の疑いについて、フジサンケイアドワークと朝井専務には(退社なさったと聞きますが)納得いくご説明をしていただきたい。時間がいくらかかってもかまない覚悟でいます。
また、謝罪広告、および、複製原画を買った読者への謝意の表明、対策、賠償をしていただくまでは姿勢をかえない決意です。